長寿遺伝子でどこまでいくのか

長寿遺伝子というのは元来、死と常に隣り合わせであった遠い先祖が、飢餓を生き抜くために獲得したものです。

しかし私たちは今、飢餓とは基本的には無縁の暮らしをしていると言えます。衛生状態の改善、医療の発達などにより寿命も大きく伸びました。本来であれば、サーチュインの進化もここで終わりなのかもしれません。

この自然な仕組みを、私たちは今再び目覚めさせようとしているわけです。さらなる長寿と健康を求めて。その事に対して、戸惑いや漠然とした不安を抱く方もいる事でしょう。生命の仕組みを手に入れようとしている事自体、人間の驕りだとする考え方もあるでしょう。

その一方で、老年病の深刻さは個人の苦しみを超えて社会問題にもなり続けていると言えます。増え続ける医療費もその1つでしょう。そんな中、一元的に治療するという可能性を放置する事が果たして現実にできるでしょうか。

私たちの生き方、そして社会を変える可能性を秘めたこの長寿遺伝子を、驕る事なくどのように活かしていくのか、私たちは今試されているのかもしれません。